「辞めるのなら」「辞める」 「するのなら」「する」

こんなことくらい「わかっているだろう?」と私は思うのですが、人にいわせると「わかっとらんぞ~」とよくいわれるのです。
氷見市は「ア二メ聖地88」に選ばれて藤子不二雄A先生の「藤子不二雄Aアートコレクション」としての「氷見市潮風ギャラリー」が有名で行政の管轄の施設ですが、指定管理者として「北日本新聞社」にお願いしています。
私が見ていても新聞社はさすが!宣伝もうまいし…。なんでも「わかっている!」この一言!
ここは賑わっていますが、まだお客さんが「回遊する」「回遊出来ること」「回遊出来るもの」ができていない!
何故、即考えて、実行せん?
私が文句言う「漁業文化交流センター」は
「人が交流」する施設になっていますか?
「人が交流」できる施設になっていますか?
「人が楽しい!と思える」施設内容になっていますか?
観光客が「楽しんで」「よってくる」「賑わいの場」「楽しめる場」「喜ぶ場」…にしていかないとだめではないですか?
その施設が「死んでいる」からダメなんですよ!
「番屋街」だけ人が賑わっていればそれでいい!のかもしれませんが…。
でも、果たして番屋の中の皆さんはどう思っておられるのかしら?
☆番屋街→「漁業文化交流センター」→「潮風ギャラリー」→「街の中」
☆「漁業文化交流センター」→「番屋街」
「漁業文化交流センター」→「潮風ギャラれ―」→「街の中」
☆「番屋街」⇒「街の中」→「潮風ギャラリー」
私はこの周辺の事だけ書いたので怒る方もおられるとおもいますが…。
この流れを作る!みたいことを新聞では述べてきておられましたが、いつ、誰がするんですか?
失敗した施設は誰の責任でもありません。
「市役所」全体とそれに納得していかれた「市議」の責任でもありましょう!
失敗しっぱなしで放棄しないでちゃんと「片付け」てから次の「やりたいこと」を進めてほしい。
なんでも「中途半端」にしてほしくない。
「辞めるのなら」「辞める」
「するのなら」「する」
私の言っていることは間違っている?