映画「大コメ騒動」は大正7年のことですが、勘右衛門 母母座店内では、昔の懐かしい話しをお客さんがしてくれています。
氷見の人です。
今から2つほど紹介していきますねー。笑
その1.
70代の男性です。
自分たちの小さい時、おいしい米を食べれるの年3回ほどだった。
いつもまずい米ばっかり食べさせられていた。
服は、綿の入ったどんこだつたそうで、それも鼻汁が
でたらその服の袖でふいていたので、そこは「かぺかぺ」だったそうです。
金持ちの酒屋さんの子供はちゃんとした洋服で学校へいっていったそうです。
うふふ。
その2.
同じく70代の氷見の人です。
米は農家だったので不自由ではなかった。
でも、紙が高くて買えなく、母親が黒板の小さいもの、チョークではなくて、白い石で書いて、ぼろキレでふいて、また書いて…。
当時は「カタカナ」が主流で母親が子供にカタカナを教えるのに用意したとか。
5,6歳の頃だそうです。
その白い石がなかなかへらないそうです。笑
なんか、ものがない時代
お金がなくて買えない時代
世のお母さんたちは工夫していたんですね。
「大コメ騒動」もそんな映画でもありました。
巨大、ポスターをどう有効に掲示するか?
お客さんと話しあって相談していました。
決まったぞー!
本日、無理なんで準備してやりますよー。
またまた来店
女性の80代の女性

終戦が終わったのは小学校6年生
大学にいきたくて当時富山市にいたとか
自宅から学校まで片道4時間かかりそれも歩いて途中電車にのり…
夜中から山の自宅からあるいてまいにち通っていたそうです
わ~

信じられない話し
将来
東京へいってデザイナーになりたかったそうです
お話しをきいていて素晴らしいわ