10年の間に・・・

前にも書いたことがありましたが
私達夫婦だけで考案した
「氷見ブリ最中」を考えて店をもってなくて人様の店で販売させてもらっていました。
ですが自分の店をもたないと売り手の気持ちが御客につたわらない!といゅうことで今の御店の物件を買いリホームしてお店にしました。
ここは「卸問屋の倉庫」でした。
今の漁業文化交流センターは氷見市の道の駅でもあり
「氷見フィシャ―マンズーワーク海鮮館」といゅう商業施設でした。
賑わっていました。
閉鎖されるまでしっかりと賑わっていました。
私も観光客が一番集結しているところなのでこの物件の場所でやろう!と思ってスタートしました。
ところが商売は初めてなのでどうやればいいのかもわからない!
お向かいの店には人が沢山出入りして時々こちらにそして街中にも人が歩いていて賑わっていました。
ですが道を挟んである店!
知名度もない店
魅力もない店
人はとびついては来てくれません。
商売のきびしさを肌で感じとっていた私です。
そんな折り時々「海鮮館」へ覗きに行くと
たいていの方が私に声をかけてくれました。
「川嶋さんどうや?人が来たか?」
「そうか!また宣伝してやるぞー!」と嘘の言葉でもそんな言葉をかけてくれました。
商売を永年しているベテランの方達です。
ここは全部「氷見の人」「氷見の御店」の方達ばっかりではなかったかと記憶しています。
商売の「ライバル」でしたが「あったかい」氷見の人達でした。
商売をして2年目
そろそろ本腰を入れて頑張ろう!と思ったら
とんでもない情報が急に入ってきたのです。

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それは「海鮮館」が9月23日で閉鎖する!
その年の10月5日
現在の埋め立て地の道の駅「番屋街」に移転することになったのです。
氷見市なのか誰がきめたのかは私にはよくわすりませんが決まったことはどうすることもできません!
工事ははじまっているし…
とうとう番屋街がオープン
ミッキ―マウスパレードもやり
番屋街は銀座街の華やかさになったのでした。
こちらはし~んと静まりかえり…
あとは皆さんの想像力にお任せいたします。(笑)
この寂しさ
この静けさ
このなんともいえない空気
いったい私はどうすればよいのか?
途方にくれました。
よく「うつ」にならなかったと今ではそう思います。
そこで考えたのがいつもやっている
いろんな「イベント」
これを企画してやっていく
そしてメディアを利用する(笑)
どうしたら?
どうやれば?
資金がない私にはその手しかなかった!
ですが御蔭さまで人がわからないことがよーくわかる力が備えることができました。

前前市長「堂故茂」氏は自分が辞められる時にちゃんと「海鮮館」の跡地の建物設計、予算をしっかりと準備され次の市長に渡す準備をされていました。
別の人、何人にも
「川嶋さん心配せんとかれ。海鮮館は人が集まる楽しい施設に変わってまた人が来るから…」といわれどんなのか?期待して待ち続けているところに
前市長「本川祐次郎」氏が誕生!
その引き継いだ建物設計で即工事を進めてくれるものだと思っていたら前の市長の自分の想いと違う!といゅうことでまた一から出直し
〇〇大学の教授のセミナー
△△大学の講演
などなど
またあらたな施設にしようといろんな方をギャラを払ってまで考えさせまたきまるまでまた閉鎖!
なんやかんやと前本川市長の想いの建物「魚々座」がオープン!

ようやくオープン!
まちにまったオープン!
でしたが1年ちょっとして閉鎖!
失敗!
前々市長の堂故さんが計画した予算も期実までつかわなかったのか?それは私わかりませんが助成金を返還する!と耳を疑いたくなる本当の話し。
サイクリングステーションも
あんなホームセンターのトタン、ホームセンターにある木でつくったようなサイクルステーション
たしか500万?800万?
いずれにしてもデザイン料が高いのかなんなのか全くわからない自分のやり放題!
また向いの施設は放置!

放置している「魚々座」
今度は現市長の「林正之」氏にバトンタッチ
指定管理者を前市長の時、つのっていましたが各当者がいない!といゅうことで放置!
現市長は「氷見市で管理」して有料を「無料」でとりあえず放置はダメといゅうことで施設を開放しました。
「氷見市観光協会」に予算とともに委託したはずです。
そして現在に至っています。
昨日、ブログで「魚々座」のサイクリングステーションに置いてあったはずの電動自転車。高額な自転車です。
前市長が用意した物です。
これが「番屋街」に移動した!と書いてあるではないか?
どうりで晴れているのにサイクリングステーションの扉が開いていない!と不思議に思ってはいたんです。
「漁業文化交流センター」は「氷見市」の物で自転車も「氷見市の所有物」です。
それなのに民間経営の番屋街のところに何故移動する必要があるんですか?
腹の立つ市長が考えて作った物であるにしろ500万の物が壊れたのならわかります
感情で移動させたのですか?
それとも「番屋街」に移動させたかったのですか?
氷見市観光協会が管理していてこのあたりがどんな実態が毎日見ていてわからないはずがないでしょう?
こちらがサイクリングがあるから…と何故人をあちらからこちらの方にかいゆうさせないんですか?
こんな事、いわなくてもこんなことぐらいわかるだろう!と思っていましたが昨日ある方に相談にいったら
「わかっていない!」といゅう言葉をいただき
「わからない」のであれば投稿しょうと決心いたしました。

いずれにしても
「エゴ!」
「氷見市民」の為にひとつもプラスになっていない!
そこの施設の真向かいの私の店でさえも1つも「プラス」になっていない!
実は私がこう書くと
「川嶋さんが向いの施設がいいがにならんと自分の店が儲からんもでびいびい文句言うとる!」と多分いわれると覚悟の上です。
確かに私の隣りの「きよ水」さんの御寿司屋さんそれから
料理屋さん「ひみ家」さんは人でいつも群がっています。
実力の差だとわかるのであんまり言いたくはなかったのですが
昨日相談しにいった方がこんなことを私にいった!

「川嶋さん、氷見市の街は昔から漁港が一番の場所であって氷見市の観光としてこのあたりをにぎやかにしないでどうする?」といってくれたので
「私もそう思って自分ではやっているんだけど…」
「あんたらしくない!あんたは…………」といわれました。
自分の想いとして自分も57歳
あとやっても10年で67歳!
今氷見市で先頭にたってやっておられる方も私を含めて
「じいじ」「ばあば」になっています。
ばあばが店していてもイメージが悪い!(笑)
10年したらより人口も減ります。
若い人がはたして観光のお仕事につくかどうか?疑問です。
先先のことを考えて氷見市の観光のことを考えていかないとダメだとおもいます。

実は何年か前に氷見市観光協会をやめようと申しいれたら慌てて
「今、魚々座がオープンする前にめがけて向いの母母座さんがやめてもらうと困る」とお世辞をいってくれ
思いなおしたんですが…。
観光の仕事をしているくせにこんなことを言うのも変かもしれません。
氷見市に「観光客」を沢山いれるがために外国へいってPR
首都圏へ行ってPR
それも大変大切なことかもしれません。
ですがもっと大切なことを忘れている!
それは氷見市ですんでいてお店をやっている方達が
特定の店、好きな店ではなく皆です
その人達が氷見市で営んでいてどう思っているのか?
現実はどうなのか?
どうしてほしいのか?
身近な氷見市の人
身近な氷見市の現実
これに一番目を向けて進めていくべきだと思います。
いつまでたっても「分裂」している!
これでは「オール氷見」にはならないのではないでしょうか?
実際に毎日泣いている人がいます。
そんな方の気持ちをくんでやっていますか?
会費2万円は「観光」の「寄付」ではありません。
1人では小さくてできないから皆さんのあつまった「大きな」御金で氷見市に沢山観光客をいれてもらってみんなが少しづつでも味わえように…とおもって出している2万円です。
このことも全く理解してくれていません!
以上!