本木監督さんの記念講演です。
富山と映画の意外な関係
トークも抜群な監督さんでした
本木克英氏
「富山と映画の意外な関係」
冒頭に御客さんから質問される前に自分から御話されるのは、さすが!でした。(笑)
2月いっぱいで「松竹」を30年勤務したのをやめられ、「ムスタッシュ」に所属される事になった御話しをされました。
ご自身のフェースブックで投稿したら、映画関係者からは、
「おめでとう!」など激励の言葉をいただいたが、
富山県のメディアなどからは
「監督さん、何かあったのか?」
「大丈夫なのか?」など、心配する声が飛び込んできたり、東京では、メディア対応とかで、超いそがしかったらしいです。
有名人ですから、それはそうでしようねー。
簡単にまとめますと、すべての「タイミング」が本木監督を
「フリーの監督」に押し上げた!といゅう事のようです。
「社員監督」が「フリー監督」になられたといゅうことで、
「本木監督」は「本木監督」です。(笑)
「フリー監督」一作目は、確か明日「発表」といっておられました。
内容は、話されませんでしたが、実はその映画は「松竹」の映画だそうです。
なんだか、♪「おむすびころりん、すってんとん」みたくておかしいですよねー。(笑)
「フリーの監督」になられたので、これからは、もっと「のびのび」ご自身の作りたい、映画に精を出してこられるのではないかと御話しを聞いていてそう感じました。
本木監督さんの話しで先日「中国映画」を作られた時のエビソート゛を話ししてくれました。
中国でのロケは、日本と違い大変だったみたいですね。
日本では、チームプレーなのに中国では、関係ない人まで、何かと口をはさんできたみたいです。
社会的でなくて場当たり的やり方で自分のすきなように行動して、居るべき時間にいないとか…。
で、毎日、「言い続ける説明」が必要だったそうです。
中国人は、
★なんとかなる!精神!
★自分を責めないで人のせいにする!
よって「自殺者」がすくない!
聞いていておかしくて…。
本木監督は、富山県が舞台にした映画を取り上げられ、説明しておられました。
例えば
1968年の「黒部の太陽」
これは「黒部ダム」がでていた映画でほしたが、それから、怪獣映画で「黒部ダム」が使われたそうです。
3本も!(笑)
富山県が舞台になった主な映画を10本ほど、紹介されていました。
その中に
氷見市が舞台の
★今村昌平監督の「赤い橋の下ぬるい水」
★川野浩司監督の「ほしのふるまち」
も紹介されていました。(笑)
監督さんは「氷見は、頑張っている…」と言ってくれていましたよー。(笑)
「釣りバカ日誌」の富山ロケの話しなど
富山を舞台にした映画10本といゅう率は、高い!
何故か?
映画関係者は、富山を舞台にした映画だとヒットすると思い、ロケ地に選んでくれるそうです。
富山県は
①映画館へ足を運んでくれる
②富山のロケ―ションオフィス、フイルムオフィスが協力的である
③富山県人がまず、みんなが動いてくれるので非常にスタッフが助かる。
どうして、富山県人をそうさせるのか?
富山県は、祭りが盛んでみんな「祭りごと」に慣れている。
まず、自分が動いてみようといゅう気質がある。
聞いていてなるほど~!
と思ってしまいました。