漫画家「藤子不二夫Ⓐ」先生と私との接点は残念ながら1回もなかったのです。
「え~?川嶋そん意外やねー?」と思われる人がきっといるかもしれません。が合ったことも、お話ししたこともなかったのです。
そんな機会がなかったのも事実でしたが…。
自分らしくなく、消極的になっていたのは事実でした。
もう、なんねんも前に
「どうして、もっと、藤子先生のことを盛り上げていげばいいのに…?」と思った時期がありまして…
たしか、「怪物君」関係の装飾を考えて店に色画用紙でつくり、貼っていたのでした。
それをどこの新聞社だったか?忘れたんですが、取材してくれ新聞に掲載してくれたのです。
その記事を探せど見つからない。(笑)
すると三日ほどしたら私の同級生が来て
「裕美子、街の人で…あんたがこんなことをすることに対して、怒っている…と言っているのを聞いたので…」と慌てて私に親切心で教えにきてくれたのです。
もう、私としてはびっくり仰天!
ただ、「盛り上げよう」と思っただけなのに…
それを利用して「商品」として売り出していたわけでもないのに…
そうだとしたら記者も取材はしない!
たかが、画用紙で手作りして物にていして怒るとは…。
でその時、感じたんです。
氷見の藤子先生と親しくしておられる方は、私みたい物に関して、騒いでほしくない。
触れてほしくない。のだと悟ったのです。
でそれからは、するのを一切やめよう!と思い、せっかく作った装飾も外しました。
私は、図書館から漫画の本を借りてきて、巨大パネルも手作りで作って、外でイベントの時は飾っていました。
3つは作っていたと思います。
われながら上手につくったなあ~と自己満足でした。(笑)
それから、黙っていた私に継起がおきたのです。(笑)
「笑ウせえるすまんNEW」のテレビ放送がきまり、
制作会社から電話がかかり、ねほり、はほり聞き出すと…
アニメの中で台詞に「ブリ最中」が入っていて役者さんに食べてもらい、イメージをつかんでもらいたくて…といゅう電話だったんです
もう、私は喜びさくり(笑)
アニメ

まして、藤子先生作品

まあ、喜んでこんなことを考えて新聞きじに


監督さんから名刺
喪黒福造さんから名刺をいただきました
それから制作会社の中に氷見市出身の方もおられたんですよー
ご夫婦で来店してくださりました

藤子先生との2ショットはないのですが…
喪黒さんとの2ショット

思い出です

グッズは何もない(笑)
あるのはこれだけ


これは読売新聞の知り合いの方がじさんしてくれた貴重な物です
川嶋さん、あんたにあげる!と
時代の証言者
連載
25回あります
これを読むといかに
藤子先生が素晴らしい方だたかわかります
最後の25回
「人生気楽にいきましょう」と
本当にそうですね

テレビで台詞
「私の好きな食べ物は、ブリ最中です」と出していただいたお礼に
藤子スタジオに贈りました(笑)
先生が食べられたどうかはわかりませんが…(笑)
食べてくれていたとしたら
幸せ~
(笑)

フエースブック友がお知らせくださいました
『トキワ荘の青春』
NHK BSプレミアムにて、11日(月)21時~
追悼放映だそうです。
藤子不二雄A先生は、後輩漫画家をリスペクトできる、稀有な存在でした。その根元的な要素は、曾ての切磋琢磨なトキワ荘…で培われたように思います。
大切にしたいものを、大切にする方法は様々。多様な大切にする仕方があれば、それが後世に繋がる可能性はあがりますね。
